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素晴らしい村人の知恵

私が住んでいる原村の家は 村はずれにありますが、農地の真ん前です。

何かにつけて畑で働く人々を見ながら日常を送っています。

今まで当然JA農業協同組合と村人は切っても切れない関係!と

思っていましたが ち、が、う、、、

JAを通して出荷している人ばかりではなく、チャンとより高く親切に

売ってくださる所に出荷していた村人たち! 知らなかった~

JAのいいなりなんかではないのです!   大胆です。賢いです。

村人に接すれば 接するほど 奥が深い、、、それでもそんな事少しも

見せないで穏やかに回っていく農村の生活

そういう事は細心の注意力と賢さと常識を持つ影の統率者がいて

成り立っている!!

日本の本当の力というのは こういう農村の社会構造を見て見ないと

解らなのではないかとさえ思います。。

よそ者の私が変ですこれ! という事は勿論同じように変だと思って

居るけれども 黙って 横を向くだけ。関わらないのです。

苦労して今の農村を築き上げた農民の知恵は計り知れない。

本質をキチンと見極めている。ただただ感動するばかりの農家の方がた。

 

 

終戦記念日の前の日に母は生涯を終えて 天に召されていきました。

毎年 父が存命の時から8月15日、終戦記念日には千鳥ヶ淵に行き、

亡き戦争犠牲者を弔ってきた母でした。身を持って体験した戦争。

絶対 戦争反対の立場を貫きました。

両親の平和を希求する心を継ぎたいと思います。

80歳になってから憧れだったチェロを習い、85歳で発表会で

カザルスの「鳥の歌」を弾いて もう目的を達成したから良いと

やめました。

画家 でもあった母 チェロ以外の曲は聞く気が無く、自分で弾かないと

気が済まず、ピアノ エレクトーン チェロ 三味線 御琴と何でも

かき鳴らしていました。

いよいよ自分がしっかりしなければならない時が来ました。

母がいつも持って歩いていたハンドバック うちに連れてきました。

ハンドバックがある所にいつも母は居るような気がします。

 

 

平和の鐘をつく

農家をしている知人のお誘いで平和の鐘を鳴らしに行きまた。

近くの深業寺(シンソウジと読みます) 原爆投下時刻に合わせ

集まった人々皆でかわるがわる 思いを込めて鳴らしました。

無言の抗議です。

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