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想いでの椅子

義理の姉の力作。亡き義理の姉が若い時に彫った椅子です。

姉は子供達とリビングで毎日使っていました。

義理の姉の幸せな家庭への夢がいっぱい詰まった椅子です。

家を新規一転するという事で我が家で引き取りました。

買ったものではない貴重な品で、私にとっては値段がつけられない高価な品。

温かくいつも心配して私達を見て下さった姉のおかげで

今の私達があると言っても過言ではありません。

長野の家に泊まってくださり、私達を見届けて

薔薇園を作ることに大賛成してくださった姉。

ローズガーデンは姉との約束の庭なのだと思うと身が引き締まる思いです。

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凄い人混み

国立新美術館六本木は、hito  hito  hito の人の群れ。しかも、みんないや大半が、

髪の毛が半分白いではないか!!これが dannkai の世代の群れかと少しげんなり、、

人のこと言えるのか、、それでまたげんなり、、

今回ここで作品を発表されたIさんは、79saiだというのに作品を展示なさり、見た目

も若々しい!!とてもおばあさんと いう感じではない。そういきたいものです。が、、、

(眼がくるっとして輝いていて声がかわいくて、、私が79才になったら 眼が皺の中に

埋まっているに違いない、、声だってしわがれがひどくなって  何言っているかわか

らないようになっているような気がする)

 

 

遺言の歌「鉄腕アトム」

 

義理の姉のお葬式、鉄腕アトムをトランペットで吹きお見送り、、、、、心に深くのこりました。

そうだ、この歌は高度成長時代の日本大衆の讃美歌だった。そうよ!!

そうよ 私たちの大切な歌だった、、  いつ消えたの???消えたころから日本は、変わってしまい

ました。

お葬儀の時に使ってほしいと故人のご希望でした。高度成長期時代の日本を生きた方らしく、、

空をこえて   ラララ  星のかなた

ゆくぞ    アトム   ジェットの限り

心やさし     ラララ   科学の子

十万馬力だ鉄腕アトム

 

耳をすませ  ラララ   目をみはれ

そうだ   アトム   油断するな

心ただし ラララ  科学の子

七つの威力さ鉄腕アトム

 

町角に  ラララ   海の底に

今日も  アトム  人間まもって

心はずむ   ラララ   科学の子

みんなの友だち 鉄腕アトム

 

詩   谷川 俊太郎

作曲  高井 達雄

歌詞をこう書いてみると、なんだか原発の歌のようで悲しい、、、

誰もが喜んで歌っていた歌が、、、、、、、(絶句!)

お姉さま、医業継承の長男 道夫の為に多くの犠牲や 我慢をして下さったこと、

ご容赦ください。又 一杯沢山の事有難うございました。ご冥福をお祈りいたします。

最後に話した薔薇園の話、とても喜んでくださった。きっと素晴らしいものにします。

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日比谷、松本楼。2014、夏

(この写真、両親と私って見えるかしら、、、、)

実は夫と、私。そして夫の亡くなられた姉。

 

お悔み申し上げます。

主人の姉が天に召されました。

有難うございました。突然のお別れ、複雑な気持ちです。

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健康に お誕生日を迎えた夫

また一つ確実に歳を重ねて行く夫。

こんなに健康に恵まれ 歳を重ねることができたこと、本人の努力はもちろん、支えて

くださった方々がいてこそです。  感謝でいっぱいです。   私も夫も足りないだらけの

人間に しばしの間の健康と充実した日々が与えられている。

食べるものを 持ち寄りささやかなお祝いを。
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子供も私も同じワインを準備、、

考える事が同じ、、、

 

 

「花子とアン」の 村岡花子さんと主人の叔母

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東洋英和時代の同級生

前列 左             主人の叔母    吉村愛子(旧姓 大槻愛子)

真ん中列 の左   村岡ハナ    柳原白蓮

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吉村愛子追悼の会に集まった東洋英和時代の友人

と愛子の兄弟。

手前 左  柳原白蓮     手前 右から二人目村岡ハナ。

 

 

村岡 花子との接点

大槻道夫(主人)の祖父は、福島の山の中の製糸工場で

女工さん達と 村の人々の健康を管理する貧しい

村医でした。

長男を除いては 、充分な教育を授けることができ

ず 、次女愛子は東洋英和女学校に授業料、寄宿料

免除の労働生として入学 入舎をしました。村岡

ハナ氏、柳原白蓮氏 とは同級で寄宿生活もともに

過ごし、生涯の友として  アメリカに渡ったのち

も励ましあい、 日本に戻る度に久が原の大槻の家

で 同級生が集っていたようです。

 

 

朝の連続ドラマ

朝の連続ドラマを見ていない私。竜王(山梨)の駅

のポスターのことを主人に聞くと、、、

私   「ネー 村岡花子って山梨出身なの?」

夫    「知らない。。。。でも村岡花子なら叔母

愛子のところに来ていたよ。。気持ちが合った

というか二人とも苦労しているから、、、」

「えー!! そういえば昔、アルバムひっくり返して

見ていた時に柳原白蓮の写真があったけれど  あれ??

あの中に写っている人たち 東洋英和の同級生?当時

貧乏だったのに どうして東洋英和に入れたの??」

「知らない。。。。たぶん正男叔父やなんかみたい

に学校で働きながら卒業させてもらったのだと思う」

ということで  忙しいのに 写真を探しているところです。

あの当時の女性も男性も 、ものすごく情熱的にいきていた

ということはよく主人から聞きます。

恋愛をした愛子叔母の姉は、滝に打たれながらお互い

の裸を見せ合って、、、書くのが恥ずかしい~  結ばれた

とか  結ばれないとか、、軍人だったのに 医師になった

とか、、きっと今でもそんな人達は いるのでしょうが

野性味を失わず、大胆に細心に 生きていきたいものです。

朝の連続ドラマは私たち日本人の生き様をある面から伝えます。

その意味で、貴重な番組と言えるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

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