5月12日 東京の薔薇
この家はあまり陽があたりませんので 引っ越しの時、丈夫そうな薔薇を1本だけ
持ってきました。
ずっと 「春霞」だと思って冬をこしました。春 葉が茂って来た時「やけに葉が
大きい」U~・・??と思っていたら 蕾もやけに大きい。 春霞ならもっと沢山
花付けるのにやっぱり日陰だと花の数が違うの?
ステムも長く日陰だとお花が変わっちゃうの?とのんき
蕾が開いてみて え??これやはり春霞じゃない!!ピエール ド ロンサール!!
- 16-05-13 5:05
思えば、もう5月
今日の昼間の風は 「5月」 と歌っているような気持ちが良い風、
5月の様な風に誘われて、過去流れていったこの10数年の日々が頭をよぎりました
決断を迫られる連続だった10数年の月日
オルガンを弾く、教える、しか知らない私のキャパを越えることの連続でした。
その時に最善と思えることを実行するしかなかった。出たとこ勝負のような決断もありました。
それ以上何ができるというのでしょうか。
私達夫婦の決断でその段階で最善と思っても、人には最悪と思う事が多々あったと思います。
一つ言えることは、教会のオルガンを弾いてきた事で
大勢の人と接したこと、最も貧しい人、社会的信用と富を両方持っている人、
その両方と接してきたこと。
決断をする上で、とても大きな役割を果たしたと思います。
今でも思い出す人々は、教会しか行くところを見いだせず
毎日のように聖堂に座っていた人々、
非常に多忙で地位を持ち社会的な責任を抱えながらも
足早にミサにはやってくる人
大きな声で文句ばかり言う人
カトリック教会は、典礼に沿った聖歌が決められているのに
教会のミサの場でどうしても自分の趣味の音楽をしたい人
虚言癖がある人
人の揚げ足ばかり取る人
自分が思う通りにならないとヒステリーを起こす人
信じられないほど柔らかい 優しい心の持ち主
善意に満ちた人、憐れみ深い人
言葉にならないほど「あきれた」図太い人
そんな人々がごちゃ混ぜのような所
社会の縮図だったと思います。
カトリック教会の聖堂はいつも祈る人々のために開かれていました。
彼らは無条件で赦される 赦されています
平日の昼間に教会に来る人は
国籍不安定な医療も受けられない人などがいました。
数人の事を思い出すと心が痛みます。
教会に練習に行くたびにベンチに居た、朝から何も食べずに座っていた人。
連れて帰って食べさせたこともあった事を思い出します。私も貧しいのに。
彼らを今更ながら尊い人々だと思います。
彼らは概して心が強かったと思います。
私も孤独で貧しかった時が思い出されます。
孤独だった時に何を感じ 考えていたか とても とても大切なことだと思います。
今孤独な方、とても大切な時を送っていると信じてほしいと思います。
- 16-04-22 21:21
4月の薔薇 「春霞」
毎日 蕾の大きさを確かめながらつる薔薇の開花を待つ喜び。
密かな大きな喜び!!
寒い肥料の時期ではない時、せっせとリン酸の多い肥料をあげ、
日陰でも咲いて 咲いて と言ってきました。
八重桜に覆われて少ししか陽を浴びることが出来ませんが
蕾を一杯付けて、
待ち遠しい! ♥ 咲くのが
- 16-04-22 21:21
勿忘草が咲く「フロントガーデン」
勿忘草って 名前だけでもロマンティックで、ホロッと、、つい馬鹿みたいに買ってしまいました。
ルピナスは移植を嫌うので着くかどうか・・・
もし着けば見事!!
- 16-03-22 22:22