母の形見 100年以上前のピアノ
母が所有する前には映画館にあったそうです。
価値あるものですが、 無用の長物 ただの飾り物になるのでしょうか。
どうしたものでしょうか。。。。中の構造が現代のピアノと違います。
ごく 幼いころはこのピアノで練習しました。
子供のころ彫刻がいつも不思議で はじめてドイツに行った時、彫刻の人たちが
住んでいた所だという事をものすごく感動したものでした。
- 17-12-02 4:04
人生への愛に燃えていく60代後半
最近 自分の変化を感じます。
もう子供の時の様に 自由!!!そして音楽のちからの大きさも 本当に実感できます!!
前よりも物事をはっきり識別できる!核はあってもこだわりを適度にコントロールできる!!
これが 門松をくぐる回数の違いというものなのでしょうか。
今年もアドヴェントが来週の日曜日からはじまり、カトリック教会の典礼暦では新年を迎えます。
友人が夕方美味しいを持ってきてくださった 一か月後のクリスマスの準備を進める中
ターキーにこだわる私へのパンチ!!美味しくて 美味しくて
彼女が 思った通り 安いチキンでOK!ターキーの夢は消えました
クリスマスツリー 本物の樅の樹では無く興ざめかと思いきや そうでもないのです!
それは勿論本物が良いに決まっていますが そんな贅沢は言えない状況。
暗くしてピカピカするだけで、幸せな単純さ チョット自分を馬鹿にしたくなる瞬間でした。
- 17-11-26 19:19
夢見草
夢見草というのは桜の事を言います。
現在の長野の家は、広大な畑を前にして建っています。
農家の方からご紹介いただいた 数人の移住者は何年も前から
時折集まり 一緒にお食事をし、飲み、励ましあってきました。
それを、集まるだけではなく形にしようと3人の移住者は
「夢見草の会」という名の会を立ち上げました。
3人ともの共通な思いは「夢を持っていればいつか必ず叶う」でした。
3人が人生で経験してきた共通の経験でした。
岡山出身者、豊岡の方、東京の私、職業も学校の先生、ナース、
音楽を専門とする私。。と多彩で、広範囲の日本から集まった面々、
3人は美しいこの村を愛し、村人から学び、この村に少しでもお役に
立てると良いと思い、試行錯誤をしながら楽しい時間を持っています。
東京にいたらできない事、、なぜかな~ 新天地で新しい生活を切り開く
ワクワク感や、この自然を限りなく尊いと感じる共通項がいくつも
移住者にはあり、ものすごく広い畑や森林を自由に出入りでき、その恩恵
を存分に味わっています。
留学生、転勤で外国にいる日本人同士が仲良くなるのに似ているかもしれません
が、、、このケースはここにず~っと住み続けるという前提が留学や転勤と
違います。
ドイツでもこんな自由な気分を味わいましたが ずうっとここにいて村に対する
責任もあります。夢見草の会の3人は学び、つながりを作り、夢を見ていきます。
夢はいつか必ず叶う、、、です!!共通の夢、個々の夢を大切にして。
- 17-10-17 6:06
素晴らしい村人の知恵
私が住んでいる原村の家は 村はずれにありますが、農地の真ん前です。
何かにつけて畑で働く人々を見ながら日常を送っています。
今まで当然JA農業協同組合と村人は切っても切れない関係!と
思っていましたが ち、が、う、、、
JAを通して出荷している人ばかりではなく、チャンとより高く親切に
売ってくださる所に出荷していた村人たち! 知らなかった~
JAのいいなりなんかではないのです! 大胆です。賢いです。
村人に接すれば 接するほど 奥が深い、、、それでもそんな事少しも
見せないで穏やかに回っていく農村の生活
そういう事は細心の注意力と賢さと常識を持つ影の統率者がいて
成り立っている!!
日本の本当の力というのは こういう農村の社会構造を見て見ないと
解らなのではないかとさえ思います。。
よそ者の私が変ですこれ! という事は勿論同じように変だと思って
居るけれども 黙って 横を向くだけ。関わらないのです。
苦労して今の農村を築き上げた農民の知恵は計り知れない。
本質をキチンと見極めている。ただただ感動するばかりの農家の方がた。
- 17-08-30 20:20
母
終戦記念日の前の日に母は生涯を終えて 天に召されていきました。
毎年 父が存命の時から8月15日、終戦記念日には千鳥ヶ淵に行き、
亡き戦争犠牲者を弔ってきた母でした。身を持って体験した戦争。
絶対 戦争反対の立場を貫きました。
両親の平和を希求する心を継ぎたいと思います。
80歳になってから憧れだったチェロを習い、85歳で発表会で
カザルスの「鳥の歌」を弾いて もう目的を達成したから良いと
やめました。
画家 でもあった母 チェロ以外の曲は聞く気が無く、自分で弾かないと
気が済まず、ピアノ エレクトーン チェロ 三味線 御琴と何でも
かき鳴らしていました。
いよいよ自分がしっかりしなければならない時が来ました。
母がいつも持って歩いていたハンドバック うちに連れてきました。
ハンドバックがある所にいつも母は居るような気がします。
- 17-08-18 8:08